自分の死去後、相続人となる可能性のある「推定相続人」の中で、特定の人物に相続させたくない、といケースがあります。理由は個々の事情により様々ですが、以下のようなケースが考えられます。
「娘は自分の世話をしてくれたが息子夫婦は顔を見せることもなかった。娘に全財産を渡したい」
「妹は家を新築するときに両親から資金を出してもらっているので、相続財産の受領を辞退してほしい」
「経営する会社の後継者である長男に自社株や土地・不動産を引き継いでもらいたいので、長男以外の人は相続放棄してほしい」
このような事情のある場合、生前もしくは自身の死後、特定の相続人(もしくは推定相続人)に相続放棄をしてもらうことを念書や誓約書を作成し、約束事を守ってもらうことは可能なのでしょうか。遺留分や注意点も含め詳しく解説します。
【 目次 】
1.念書・誓約書の法的効力
1.念書・誓約書とは
念書とは、二者間でどちらか一方に生じるまたは負担する義務などについて承認していることを書面で作成したものです。書面に書いてある内容について問題が生じた場合に、証拠として利用します。二者間で合意しているのであれば口頭でも契約は成立し、書面作成の必要はありませんが、口頭で交わした言葉をもとに書面を作成し、念書を作成しておくと、トラブル時に証拠として利用できる可能性があります。
また、誓約書とは、当事者同士のうち、一方にだけ決まり事を守る約束をしたことを、書面で作成したものです。念書と誓約書、他にも契約書など当事者同士の約束事を書面にしているものはありますが、明確な書式や決まった書き方などはありません。
2.念書・誓約書が法的効力をもつための条件
念書や誓約書は、基本的には法的効力はありませんが、一定の条件を揃えると、トラブルになり裁判などへ発展した場合、証拠の一つになる可能性はあります。また、誓約書は当事者の一方が決められた約束を守るという内容のものが多く、あまりに一方的で不利な約束をさせられるというようなケースでは無効になる可能性があります。
2.相続放棄の念書の書式と記載内容
推定相続人間での話し合いなどで「将来的相続が発生した場合に相続放棄をする」などの念書や誓約書を作成しているケースがありますが、そのような念書を作成していても法的効果や強制力はありません。
しかし、将来的に何かの証拠書類として利用する可能性も考えて、下記項目は記載しておくべきでしょう。書式は特に決まってはいませんが、内容をわかりやすく記述し、作成者情報等を明確にしておくとよいでしょう。
- 住所と氏名(当事者全員)
- 作成日
- 約束すべき内容の詳細
- 約束を守る期日があれば、その期日
- 署名捺印(実印 + 印鑑証明であれば尚可)
3.生前の相続放棄の有効性
相続放棄手続きは相続人自身が相続放棄する意思を明確に示し、家庭裁判所に申し立てる法的な手続きです。
相続人であることを知って3ヶ月以内に家庭裁判所へ申し立てる必要があります。たとえば、母親に借金があるので相続放棄をすることを決めているとしても、母親の存命中は相続が発生しておらず相続人となっていませんので、相続放棄手続きはできません。
それでは、生前(相続発生前)に相続放棄をする旨を記載した念書を作成している場合や、生前の遺留分放棄については認められるのでしょうか。
1.生前に念書などで約束した相続放棄は無効
相続が発生した場合に相続放棄をしてもらいたい推定相続人に対して、相続放棄する約束事を書いた念書や誓約書を作成していたとしても、法的効力はなく、無効です。たとえ、推定相続人が承諾して相続放棄をしたいと思って念書を作成していたとしても無効です。
なぜならば、相続放棄は相続発生していない状態では手続きができないからです。相続放棄手続きは、相続人自身が相続人であることを知ってから3ヶ月以内に、家庭裁判所へ申し立てる手続きです。相続人になる可能性があるという理由で相続放棄をするという約束はできません。
たとえば、被相続人の生前に「自分の死後は相続放棄することを約束してほしい」と言われて承諾し、念書を書いたとしても、念書に法的効力はありませんので、相続発生後、相続放棄をしなくてはいけないという決まりはありません。
2.遺留分放棄は生前手続きができる
前述の通り生前の相続放棄手続きは認められませんが、生前の「遺留分放棄」の手続きは認められています。
(民法1049条に記載)
※【遺留分とは】
相続人が最低限受け取ることのできる法律で定められた相続分。相続順位によって取得割合は定められています。また、被相続人が遺言を残す場合であっても、遺留分を侵害することができません。
遺留分は、配偶者、子、父母に認められています。また、父母が被相続人よりも先に死去している場合は、孫やひ孫などの直系卑属や、祖父母、曾祖父母などの直系尊属に認められます。兄弟姉妹には遺留分はありません。
遺留分放棄は家庭裁判所に申し立てる法的な手続きです。遺留分放棄が許可されるか否かは、以下のような点を基準に判断されます。
- 遺留分放棄する正当な理由があるか(被相続人の療養介護をした相続人に遺産を譲りたい、など)
- 遺留分放棄をする本人が相続放棄の意味を十分理解し、自由意志に基づいているか
- 遺留分放棄に対する相応の対価を得ているか(生前贈与など)
生前の遺留分放棄手続きに裁判所の許可が必要な理由は、被相続人からの不当な干渉による遺留分放棄ではなく、自身の意思による遺留分放棄であることを明確にするためです。遺留分放棄の手続きをするのには、それなりの理由があるはずです。相続人の子供のうち一人だけが生前贈与を受けている場合や、被相続人と仲が悪く関わりたくない場合、また、生活にゆとりがあり財産を受け取らなくても良い場合など様々です。しかし、どのような理由でも、周囲に強制されたからではなく、本人の意思による遺留分放棄でなければ無効になります。
また、遺留分放棄が認められても相続権はなくなりません。相続放棄とは異なり、遺留分のみを放棄する、ということなので、財産を受け取ることはできます。
相続発生後に遺留分放棄をしたい場合は家庭裁判所に申述する必要がありません。その場合は、他の相続人へ遺留分放棄する旨を伝えましょう。書面を作成しておくと将来的に問題が起きても証拠になり得ますので、作成しておくと良いでしょう。
4.生前の相続放棄の代替手段
1.生前贈与
生前に、遺産を相続させたくない相続人以外の人へ財産贈与することで相続財産が少なくなり、相続させたくない人へ分配する相続財産を減らすことができます。特定の相続人へ多く財産を渡す場合だけでなく、自身がお世話になった相続人以外の人へも自身の財産を渡すことができる方法です。
よくある例で、長男の配偶者が自身の療養介護をしてくれたので遺産を渡したいというケースです。このケースでは長男の配偶者は相続人ではなく、第一相続人の配偶者という立場になりますので相続は発生しません。確実に財産を渡したいのであれば生前贈与は一つの手段と言えます。
ただし、下記ケースのように贈与する時期や、遺産全体に占める贈与の割合などによっては遺留分算定の基礎になる財産価額に加えられるケースもあります。特に贈与者(遺産を与える人)と受贈者(遺産を受領する人)が遺留分を侵害することを知って生前贈与した場合は、遺留分侵害請求をされるケースもありますので注意しましょう。
【 遺留分算定の基礎になる財産価額に加えられる生前贈与】
- 相続開始の1年以内にされた生前贈与
- 贈与者と受贈者が遺留分を侵害すると知って行われた贈与
- 贈与者と受贈者が遺留分を侵害すると知って行われた有償行為
- 相続人への特別受益に該当する贈与
2.遺言
遺言書がある場合、法定相続分よりも遺言内容が優先されます。しかし、遺留分を侵害した遺言は無効です。遺言を残していない場合、遺産分割協などで合意しなければ、通常は法定相続分を相続することになります。法定相続分に比べ遺留分は2分の1になりますので、分配される財産は少額に抑えることができます。
遺言を作成する場合、費用はかかりますが公正証書で作成すると不備がありませんので安心です。遺言は被相続人の意思が反映された内容で遺産を分配・対応できるため、相続人からも不満が出にくいでしょう。
3.推定相続人の廃除・相続欠格
推定相続人の中には自身に対して侮辱行為や、自身の遺産取得を有利にするために通常では考えられない行動をする人がいます。そのような(推定)相続人に財産を相続させないために、「推定相続人の廃除」「相続欠格」の制度があります。この制度を利用することにより、相続させたい他の相続人へ財産を集中させ多く分配することが可能です。しかし、推定相続人の廃除や相続欠格は意見の対立やけんが程度では認められず、常識を超えた侮辱行為や非行などでなければ認められません。
①推定相続人の廃除
自身が死去した際に遺留分の権利を持つ推定相続人から以下のような行為を受けた場合、被相続人は相続人の廃除を家庭裁判所に請求することが可能です。推定相続人の廃除が認められた推定相続人は、相続をすることができず、遺留分についても請求することができません。
【推定相続人の廃除が認められる理由】
- 被相続人に対する虐待行為
- 被相続人に対する重大な侮辱行為
- 推定相続人に著しい非行行為がある場合
推定相続人の排除を受けた人物が被相続人より先に死去しており代襲相続が発生している場合は、その代襲相続人は相続人になります。
②相続欠格
相続欠格は、自身の遺産相続を有利にするために被相続人や他相続人に精神的・肉体的に危害を加えるまたは加えようとした場合が該当します。相続欠格とされる行為は通常では考えられない行為で、このような場合は強制的に相続人の権利を喪失します。
【相続欠格に該当する理由】
- 故意に被相続人や前順位相続人・同順位相続人を死亡させた、または死亡させようとした場合
- 被相続人が殺害されたことを知っているのに告発や告訴を行わない場合
- 被相続人の遺言を詐欺または脅迫などの行為により、変更・取り消しをさせるなど妨害した場合
- 脅迫・詐欺などの行為により遺言をさせ、その遺言の変更・取り消し等を妨害した場合
- 被相続人の遺言書を偽造・変造・破棄・隠蔽した場合
5.相続開始後の相続放棄の有効性
相続放棄は、相続開始後3ヶ月の熟慮期間内に家庭裁判所に申し立てます。相続放棄が受理された後は「最初から被相続人の相続人ではなかった」という扱いになります。そのため、債権者から被相続人の借金について支払いを請求されても支払う必要はありません。数年後、数十年後であっても、相続放棄が受理されたということは有効ですので、被相続人の借金について一切支払う義務はありません。
また、相続が発生してから相続放棄が受理されるまでの数ヶ月間についても、相続放棄が認められた場合は相続発生日まで遡って相続放棄が認められ、初めから相続人でなかったことになります。相続放棄の申し立てから受理されるまでの間、債権者から被相続人の借金を相続人であるからという理由で支払うように言われても、相続放棄を申し立てていることを伝え、支払いなどをしないようにしましょう。
6.相続放棄が無効と判断される場合
1.法定単純承認とされる行為をする
相続放棄手続きを申し立てる場合、相続したとみなされる行為(法定単純承認)をしている場合は相続放棄が認められません。もし、そのような相続しているとみなされるような行為がある場合に相続放棄手続きを申請したとしても却下されます。
【 法定単純承認とされる主な行為 】
- 相続人が相続財産の処分行為をする
- 相続人が相続開始を知り熟慮期間である3ケ月以内に相続放棄又は限定承認手続きをしなかった
- 相続人が相続財産を隠匿・消費する、また悪意で財産目録に記載しないなどの背信行為
相続放棄が認められた後も同様で、法定単純承認とみなされる行為をした場合、相続放棄が無効となる可能性があります。相続放棄受理後も被相続人の財産を処分するなどの行為をしないように気をつけましょう。
2.相続放棄申述で虚偽記載をする
相続放棄は前述の通り法定単純承認とされる行為がある場合は認められず、申し立てをしたとしても却下されます。だからといって、相続放棄が受理されるために、申述書や裁判所からの質問状に虚偽記載または虚偽申告・回答をすることは許されません。受理されたとしても債権者とトラブルになるでしょう。
また、故意でなく事実誤認などでも同様です。相続放棄手続きは家庭裁判所に申し立てる法的な手続きですので、虚偽の記載や申告・回答のないようにしましょう。
まとめ
今回は、相続放棄の念書や誓約書の有効性、また相続放棄が無効とされるケースや注意点について詳しく解説しました。
相続放棄は相続人が自分の意思を持って家庭裁判所に申し立てをする法的手続きです。相続発生前に相続放棄手続きはできません。また、相続発生前に推定相続人が相続放棄をすることを承諾し、念書を書いていたとしても法的効果も強制力もありません。相続発生前に特定の相続人の相続させたくない場合は、遺言や生前贈与などの手続きを利用し、生前対策しておくと良いでしょう。
相続放棄は家庭裁判所に申し立てる法的な手続きで、戸籍謄本の取得など手間のかかる作業もあります。相続放棄後は他の相続人とトラブルに発展することもあります。スムーズに手続きを進めていくために、相続放棄手続きや遺産相続手続きは専門家在籍の司法書士事務所へ相談・依頼すると良いでしょう。